ドール哲学【15】:高坂 穂乃果

というわけで最終回です。
今回の主題は「なぜ人はドールを愛するのか――その答え」です。

時事ネタで一つ。パリで発生した同時多発テロでは多くの人が命を落としました。非常に残念で痛ましい事件です。テロを起こした人の一部は最後に自爆したと報道されています。なぜテロリストは自分の命を捨ててまで、このような残虐な行為を行うことが出来るのでしょうか。そして逆に、なぜ私たちは、このような行為を残虐だと思い、実行しないのでしょうか。

その答えに私は同情哲学が役に立つと考えます。普遍的に存在する「盲目的な生きんとする意志」を理解し、「全は一、一は全」の考えのもと、自他を互いに認め合う、つまり同情することが出来れば、このような行為に及ぶことは出来ないでしょう。他人を傷つけることは、自分を傷つけることと同義なのですから。

逆に、同情が出来ない場合、人はいくらでも残虐になることができます。なぜなら私とあなたは異なるのだから。世界の表象だけを見つめてしまうと、世界はあまりにも多様性にあふれています。アナロジーの倫理学を用いたとしても、人は肌の色、思想の違いだけで、お互いを全く違う生物として扱ってしまいます。増してや憎しみを持ってしまうと、もはや互いに害でしかありません。そして他者を許容できない世界、つまり武力でどちらかが消えるまで戦争を行う世界となってしまいます。ニーチェはそんな世界を肯定し、ショーペンハウエルは否定する。ここに二人の大きな違いがありました。

「人はなぜドールを愛するのか?」

私は次のように考えます。無機物に対しても「生きんとする意志」を感じ、無機物と有機物の境を超えること、それこそが理由なのです。日本は古来より「八百万の神」を信仰してきました。あまねく万物には神が宿っているという信仰です。この場合の神というのは、人という性格を付与されてはいますが、「人」や「生命」を超えて、全てのものに敬意を払うという考えに、ショーペンハウエルの説いた「生の哲学」の一旦を感じることができます。そして、その意志を具現化したもの、それが地蔵であり、仏像であり、ドールであるのです。そして人はドールなどの偶像を通じて、お互いの意志を感じることのできる、同情および寛容の精神を培うのです。

以上、ドール哲学でした。
ここまで読んで頂いた方に感謝です。誠にありがとうございました。


関連記事
スポンサーサイト
Category: ラブライブ!
Published on: Fri,  20 2015 19:22
  • Comment: 0
  • Trackback: 0

0 Comments

Post a comment