趣味とは何のためにするのか。

  27, 2017 00:49
そろそろ違う趣味も探す必要があるのかな。
今回の主題は「自由に出来る時間があるときに、やりたいことが趣味」です。

根源的なお話で、一体趣味は何のためにするのでしょうか。

まず人生において、個人的には二つの時間があると考えます。それは『生命や生活維持のために使う時間』と『それ以外の余暇時間』です。

前者の『生命や生活維持のために使う時間』とは、生きていくために必要不可欠な行為に使う時間です。真っ先に考えられるのは『睡眠時間』です。人により長短はありますが、睡眠時間無くして活動することは出来ません。所説ありますが1日24時間のうち、『6時間から8時間』必要となります。次に『食事時間』です。栄養を摂取しなければ生きていくことは出来ません。一般的に3食摂取するのに『合計1時間から1時間半程度』でしょうか。そして平日ともなれば、食事や住まいを維持するためにお金を稼ぐ必要があります。子供であってもお金を稼ぐための準備期間として学校へ行く時間があります。一般的には『8時間から12時間』と言えるでしょう。残りでは雑務です。トイレなどの生理現象であったり、お風呂であったり、服を着て、部屋を掃除して、洗濯したりと、健全に文化的な生活を送るための準備時間が必要となります。内容は多岐に渡りますが、平均『1時間から2時間』程度とも推測出来ます。

そうして残った残りの時間が『それ以外の余暇時間』です。人間として文化的最低限必要な時間を除いた後に残る自由時間。それは睡眠などの肉体維持のために必要な時間や、お金を稼ぐなどの文化的生活を保つための時間とは異なります。内的要求も外的要求もない完全な自由時間と言えます。そんな時間をいかに使うべきか。どのように余った時間を活用するべきか。つまり、その時間の行動が『趣味』と言えるのです。

この『趣味』とは、その性質上、存在理由自体がありません。生きるにあたって内的要求も外的要求もないためです。完全に自由であるがゆえに、それ自体に存在理由はありません。ただ『趣味』にあるのは、『自我という人間独自の概念から生まれたもの』です。

趣味があるのは自我を持っている人間のみに備わるものです。人間以外の生命は『生命や生活維持のために使う時間』しか持ちません。そもそも自我がなければ区別も出来ず、全ての行動は本能のまま動くことになるでしょう。自我の少ない赤ん坊も同様です。一見自由な時間ばかりに見えますが、実のところ『生きることに対して100%の時間を使っている』と言えます。自我が芽生えていない頃は『私』と『世界』は一体でした。世界が『なぜ世界として存在しているのか』と考えないのと同様に、『私』自体も『ただそこにあり、ただそこで生きる』生命であり、生きる以外の時間などは無いのです。

しかし自我が生まれ、なおかつ『生命や生活維持のために使う時間』以上に時間がある場合、自我によって『趣味』が発生するのです。だから趣味は自由であり、理由を持たないのです。役にも立たないし、役に立つ必要もないのです。

だからこそ趣味は自分自身で意味を与えなければなりません。自分自身で意味を求め、自分自身で納得する。要するに『楽しんだ者が勝ち』なのです。大人になると仕事の忙しさから楽しみ方を忘れてしまいがちです。だからこそ自分自身が楽しむことが出来るように努力をする必要があるのです。

というわけで、私自身も2年続けているドール趣味も変化を起こさないといけませんね。


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