ドール哲学【13】:高坂 穂乃果

ドール哲学という物語のハイライトとなります。
今回の主題は「倫理とは同情である」です。

本題に入る前に「盲目的な生きんとする意志」が分かりにくい人のために漫画からの引用を一つ。アニメにもなり、サンデーに連載している「マギ」に登場する「ルフ」をイメージして下さい。「ルフ」も作中では、あらゆる物質に存在するエネルギーとして描かれています。もちろん「意志」とは異なり、「ルフ」には物語として色々な性格を付与しているのですが、比較的分かりやすいと思うので、興味があれば一読お試し下さい。

では、ショーペンハウエルは「盲目的な生きんとする意志」から「同情の哲学」を展開します。万物に共通して存在する「意志」を彼は妨げてはいけないと考えたのです。なぜ人を殺してはいけないのか。それはお互いに「意志」が備わっており、他の人を殺すことは、自分を殺すことと同じなのだと彼は説明します。では、人間以外の動物を殺すことはどうか。それも同じく動物にも「意志」が備わっているため、自分を殺すことと同じです。植物の場合でも同じでは。上記の例が理解しにくい場合は「意志」を「生命」に置き換えると理解しやすいと思います。「意志を妨げることを防ぐこと」が正義なのです。

彼は「愛」についても以下のように説明しています。愛とは「あまねく場所に存在する『意志』をあたかも自分と同じと感じることが出来る」ことである。弱い物を自分のごとく思いやることができるから、かわいそうだと感じるのです。時間と空間という認識の枠を超えた世界を直観できること、それこそが道徳なのです。

あなたは木がチェーンソーで切られる光景を見て、痛そうだと思ったことはありませんか?人間と姿形も全く違う物体に対して、直感的に「意志」を感じ、同情することができること、それこそが「愛」であり、道徳的価値があるである。

――そう、その対象がドールであったとしても。

これが「なぜ人はドールを愛するのか?」という問いの回答となります。命のないプラスチックで成形されたドールであったとしても、そこに命という概念を超えた「意志」を感じるためにドールを愛するのです。

ここまで記述して、聡明な方なら気付いたと思いますが、この「ドール哲学」、愛する対象がドールでなくても構いません。もし石が好きで「石を低価格で楽しむ」というブログであったのなら、「石哲学」としていたでしょう。そして同じ結論を言うでしょう。人は無機物に対しても愛することが出来るのだと。

次回以降は、そんな同情哲学についての補足と、ショーペンハウエルと袂を分かつニーチェの哲学に触れて、まとめに入りたいと思います。


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Category: ラブライブ!
Published on: Wed,  18 2015 19:37
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