ドール哲学【11】:クロエ・ルメール

哲学史の紹介は今回で最終回となります。
今回の主題は「物自体の再定義―そして、生の哲学へ」です。哲学者カントは認識そのものを批判し、「時間と空間」つまり「因果律」というフィルターを通した認識こそ、正しい認識だとしました。その代償として、決して認識されることはないが、確かに存在する「物自体」という問題を生み出してしまいました。その後の哲学者たちは、「物自体」を研究対象としたのは言うまでもありません。

最後に紹介する哲学者は「生の哲学者」として名を馳せる、哲学者ショーペンハウエルと哲学者ニーチェです。ニーチェはとても人気のある哲学者です。「力への意志」「ツァラトゥストラはかく語りき」等、その魅力的な言葉の響きに、PS2用ゲームソフト「ゼノサーガ」の題材にされるなど、内容は知らなくても、言葉だけは知っている人は多いのではないでしょうか。倫理学における価値の転換はあまりにも有名で、ナチスドイツのヒトラーに影響を与えたと言われています。

しかしながら、ニーチェの師匠である、哲学者ショーペンハウエルを知っている人は限りなく少ないと思います。なぜなら彼の哲学は、例えるならインドにおける仏陀です。著書の一つに「自殺について」があり、言葉だけ見ると非常に暗いイメージを受けてしまいます。そんな陰湿な師匠からニーチェは最終的に袂を分かつわけですが、実はこの二人の哲学の根源は同じ『生の哲学』なのです。

二人の共通点は、カントの残した「物自体」を「意志」として再意義したことにあります。そして「物自体としての意志」に対して、ショーペンハウエルは静的に否定的に捉え、ニーチェは動的に肯定的に捉えたという点が異なるのです。

大学時代に、私が哲学の師として選んだのはショーペンハウエルでした。私にとってニーチェはあまりにも力強く、眩しかったのだと思います。「生の哲学者」でありながら、生を否定する矛盾した哲学に魅力を感じたのでしょう。人はいつも力強い言葉に魅力を感じるわけではありません。生を肯定しながらも、ゆっくり死に向かう哲学に興味を持ったのです。

というわけで今回はここまで。次回は「物自体としての意志」の把握、ショーペンハウエルの著書を通じて「盲目的な生きんとする意志」を説明します。


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Category: ガールフレンド(仮)
Published on: Mon,  16 2015 19:26
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