ドール哲学【10】:そに子

近世哲学の祖である哲学者カントのお話し。
今回の主題は「認識の限界、そして認識を超えた『物自体』の把握」です。

中世末期、「経験的判断」と「直観的判断」は断絶状態でした。経験的判断は、何度経験に頼っても経験の蓋然性から抜け出ることが出来ませんでした。直観的判断は、合理性に根拠を求めて、さらなる形而上学へ向かうがあまり、最終的には実世界を離れた概念だけの不毛な世界へ迷い込んでいました。

そんなおり哲学史上「コペルニクス的回転」をもたらした哲学者カントは、その道ではあまりにも有名です。著書「純粋理性批判」等の、中二的な言葉に興味を惹かれる人は多いことでしょう。しかしながら、彼の哲学を理解するには、最低限今までの哲学史を知っておく必要があります。それが「経験的判断」と「直観的判断」の長きにおける断絶であり、彼はこの二つの判断方法を調停したのである。

その方法が「判断つまり認識そのもの」への批判です。今まで経験的判断と直観的判断は、「真理を人の外に求めたのか、人の中に求めたのか」という違いでした。そこに認識する観測者『人それ自体』への考察は抜けていたのです。カント以前の哲学者は真理を求めるあまり、無意識に人は真理を理解できる万能な存在なのだと思い込んでいたのです。実際は「人は世界を色眼鏡で見ている」と主張したのです。そして「眼鏡それ自体が一体世界をどのように捉えるのか」ということを研究したのです。この世界を捉える眼鏡を彼は「時間と空間」としたのです。

とはいえ、これ以上興味のある方は本屋へ行きましょう。ドール哲学にて重要なことは「認識の限界、そして認識を超えた『物自体』の把握」です。

認識には限界があること、そして認識には時間と空間という形式があることを彼は発見しました。それと同時に新たな問題も浮上しました。人の認識を超えた世界の実在、つまり『物自体』を想定しなければいけなかったのです。人は時間と空間という眼鏡を通してしか正しい認識を行えません。しかし何かを認識するからには「人が認識する前の世界が実在する」という帰結をもたらすのです。認識できないが、確かに存在する世界、それこそが『物自体(英:thing-in-itself)』です。

では、「認識できないが、確かに存在する物自体」とは一体なんなのか?
続きは次回にて。


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Category: すーぱーそに子
Published on: Sun,  15 2015 19:12
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