ドール哲学【09】:初音ミク

中世哲学史の概略となります。
今回の主題は「経験的判断の根拠は蓋然性であり、直感的判断の根拠は合理性である」です。

中世哲学では「経験的判断と直感的判断」の対立はより深くなりました。経験的判断こそ真理とした哲学者ロックであり、直感的判断こそ真理としたのがデカルトである。このあたりの哲学史解釈は正直いろいろ人によると思うので、独断と偏見となります。またこのあたりの哲学は抽象的な表現も多く、正直私自身も苦手で理解できなかったのを覚えています。

哲学者ロックは一般的に経験論哲学者として有名です。色々難しいことはさておいて、彼は経験を第一と考えました。そして経験から必然性という真理を求めたのです。しかしながら最終的には経験とはどこまでも『蓋然性』でしかないとしました。ここで重要なのは「経験とは蓋然性である」ということです。蓋然性とは「ほぼ必然的に起きる現象」のことを言います。手に持ったリンゴを放すと床に落ちます。この行為を100回、1000回行っても必ずリンゴは床へ落ちます。そのため「手に持ったリンゴを放すと床へ落ちる」という命題は真理とすることができるのです。たぶん1001回目もリンゴは床へ落ちるでしょう。99%起きないですが、地球が爆発して、宇宙空間とならない限り。

この考え方は日常生活では意識的に使用しています。人に対して「バカ」といえば、だいたいの人は気分を悪くなる。「バカ」と言われて気分の悪くならない人は少数だと思うので誤差とする。それが心理学の研究方法となります。この蓋然性こそが「経験的判断」の根拠となります。

逆に、哲学者デカルトは「我思う、ゆえに我有り」という直感的判断を元に論理を合理的に展開していきました。しかしながら当時の哲学は一般人にとって非常に理解しがたいものとなっていました。なぜなら人が何かを理解する過程には必ず経験が必要で、経験から離れた哲学用語は実世界と乖離したものとなっていました。それこそ中二病のように「神」といった不確定な概念の言葉遊びと成り下がっていたのです。ここで重要なのは「直観的判断とは合理性である」ということです。直観から生れ出た「我という実存在」から合理性によって彼は哲学理論を展開したのです。それはあたかも「1+1=2」とする数学のように。

この考え方は日常生活では無意識的に使用しています。演繹法がその代表例です。「AはBである。BはCである。ゆえにAはCである」と言った推測は経験によるものではなく、合理性から導かれます。人を説得させるには、経験だけではなく、合理性から来る推測は直感的に理解できるため有効なのです。だからこそ経験していないことに対しても理解することができます。

つまり次のように言うことができるのです。「経験的判断の根拠とは蓋然性であり、直感的判断の根拠とは合理性である」。しかしながら真理が二つある時点で、ダブルスタンダードであり、お互いに真理というには相応しくありませんでした。その矛盾を解消したのが、哲学者カントとなります。彼は人の「判断そのもの」を批判的に捉えたのえす。

というわけで、次回は哲学者カントの「理性批判」を紹介予定です。


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Category: 初音ミク(その他)
Published on: Sat,  14 2015 19:23
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