ドール哲学【08】:村上文緒

古代哲学のお話しですが、結構適当です。
今回の主題は「真理は外に存在するのか、中に存在するのか」です。

哲学史を一から話すと、それこそ一冊の本ができてしまいます。なので詳しく知りたい方は本屋で探してみて下さいね。ここでは前回までの主題である「経験的判断」と「直観的判断」に即して、次のような観点で議論します。「真理とは外に存在するのか、中に存在するのか」ということです。

有名ではありませんが、哲学者タレスは哲学史上、最初に登場する人物です。最初に哲学を始めた彼は「万物の根源は水である」と主張しました。おそらく彼は万物は必ず水気があると感じたのでしょう。そして水の多寡によって万物は創造されたのだと判断したのだと思われます。このように哲学が始まったことは非常に意義深い内容です。「万物の根源は水である」という、それ自体に意義があるのではありません。重要なのは、その判断に至る過程が「経験的判断」であったことです。世界の真理は人の外に存在する。水があるという結果から万物の根源を水と判断した。

それと対極にある人物が哲学者プラトンです。「無知の知」を説いた哲学者ソクラテスを師に持ち、「イデア論」を説いた彼は非常に有名です。世界の真理はイデア界にあり、現世はイデアの影でしかないと主張しました。このことも非常に重要です。「真理はイデアである」という、それ自体ではありません。その判断に至る過程が「直観的判断」であったことです。真理は人の中に存在する。だからこそイデア界という理想の世界を発見したのです。

この二人の違いは、世界や真理に対するアプローチの方法が「人の外側にあるのか、人の内側にあるのか」という点です。真理は世界を分析することにより発見される。これが後に「科学や化学」とへ派生します。逆に真理は人間を分析することにより発見される。これが「哲学や心理学」として細分化されます。このように「経験的判断」とは「判断材料は人間の外側、つまり結果にある」とする立場です。逆に「直観的判断」とは「判断材料は人間の内側、つまり人間それ自体にある」という立場です。

この対立は中世哲学史でより顕著となり、18世紀の哲学者カントによって大成されます。
続きは次回で。

PB090737.jpg
関連記事
スポンサーサイト
Category: ガールフレンド(仮)
Published on: Fri,  13 2015 19:28
  • Comment: 0
  • Trackback: 0

0 Comments

Post a comment