ドール哲学【07】:クロエ・ルメール

『直観的判断』の説明をします。
今回の主題は「直観的判断を意識化しよう」です。

前回とお話しした「経験的判断」と対になる「直観的判断」は、文字通り直観的な判断となります。よって、経験的判断に比べると非常に理解が困難です。何せ、直観とは意識的に判断せず、無意識で判断することが多いためです。経験的判断に寄らない判断方法、つまり行為の結果が良くなろうが、悪くなろうが関係なく、行為それ自体で判断を行います。個人に依らない、普遍的は判断方法なのではあるのですが、実例を挙げたとしても、やはり直観は人それぞれ程度が異なります。なので、今から述べる実例に対して、すぐに納得する人もいれば、なかなか理解できない人もいますが、それでも実例を挙げることは説明方法として有効です。

もし子供が「どうして人を殺してはいけないの?」と聞いた時に、あなただとどのように説明しますか。「人を殺したら、警察に捕まるから」とか「人を殺したら、自分も殺されるかもしれないから」という経験的判断は別として、まず「人を殺してはいけないのは当然だ」と直感的判断に基づいて説明すると思います。それこそが倫理的、道徳的に正しいと諭すでしょう。そもそも「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いそれ自体に非難することでしょう。なぜなら「至極当然のこと」だからです。まず『生命とは尊いもの』なのだから。

飢え死にする寸前の子供が目の前にいるとします。あなたはパンを持っています。あたなはいつでもパンを得ることができるほど豊かな人で、パンを渡したところで特に困ることはありません。あなたはどうしますか?倫理的、道徳的な人ならば、まず子供にパンを分け与えるでしょう。なぜなら同じ人間の『命』は助けるのが当然なのだと考えるでしょう。

このような『命』とか『道徳』とか呼ばれるものが『直観的判断』と呼ばれるものです。結果を排除して、行為そのものに対して判断する方法です。「子供を助けようとする」行為それ自体が称賛されるべきことなのです。たとえ子供を助けることができなかったとしても、「子供を助けようとした」行為は倫理的に正しいと判断されます。

直観的判断は直感的判断に優れている人ほど意識化しにくい側面を持ちます。正常な体の持ち主は指の動かし方を考えることはしないが、指をケガをして不自由な人は意識的に指を動かそうとするでしょう。つまり直観的判断に対して不満を感じる人、道徳的ではない人こそ、直感的判断を意識化することができます。

さて、直観的判断を意識することが出来たでしょうか。行為それ自体が目的ということが、それが「直観的判断」です。これは非常に難しい主題です。だからこそ哲学史上、ほとんどの哲学者が主題にしてきたのです。この直観的判断を理解するには、少なくとも近代までの哲学史を知っておく必要があります。そして、この直観的判断が理解できた時に「なぜ人はドールを愛するのか」という問いに対して明確な回答を得ることが出来ます。なぜなら私が主張する回答は「経験的判断」から来るものではなく、この「直観的判断」から得られるものだからです。

次回以降、簡単に哲学史を交えながら、直感的判断を意識化していきます。

PB080705.jpg

≪使用素材≫
100均の造花(紅葉) 2本 200円

*鳴らない携帯 様のアイディアを借用させて頂きました。花を傘替わりにすると幻想的に見えますね。
あと照明を1個から2個に増やしました。ライトはクリップ型の1,000円のものを使用しています。
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Category: ガールフレンド(仮)
Published on: Thu,  12 2015 19:37
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