ドール哲学【06】:クロエ・ルメール

『経験的判断』の実例を挙げて説明します。
今回の主題は「経験的判断とは最大多数の最大幸福である」です。

経験的判断とは個人の経験による判断のことを言うのではなく、個人を超えた普遍的な経験的判断のことを言います。この立場では結果が全てであり、判断材料となります。ある行為の善悪に対して、その行為が成された結果、幸福が増大されるのであれば、その行為は善であると見なします。

では「なぜ人はドールを愛するのか」という問いに、経験的判断からの立場だと次のように言えます。ドールを愛することによって、私が幸福になるからです。それは快楽と呼んでも構いません。可愛いものを愛でること。ドールの服を着せ替えすること。ポーズを取らせて、写真を撮ること。そういった行為を行う結果、私は幸せを感じることができる。このような理由こそが経験的判断となります。

しかし、この立場には当然欠点があります。「行為を行った結果がどの時点なのか」ということです。ドールを愛するためには、ドールを購入しなければならず、当然お金がかかってしまいます。ドールを愛するがゆえに多額の費用を出してしまうことは、結果として人を不幸にさせる恐れがあります。このように幸福感とは個人的であり、一時的なのです。最も分かりやすい例が「麻薬問題」です。中毒性などを除けば、一般的に麻薬を使用すると幸福な気分になれます。そのため行った行為の結果、幸福が増大するのであれば、経験的判断からすれば麻薬の使用は倫理的正しい判断となってしまいます。

そう言った欠点から一歩進めたのが哲学者ジェレミ・ベンサムの「最大多数の最大幸福」論です。個人的な幸福から脱却し、社会全体の幸福へと焦点を当てました。ドールを愛することによって、より多くの人が、より幸福になるのであれば、それは正しい判断と見なす。お金を使いすぎて他の人に迷惑をかけないように、ドールを愛する必要があるということです。ちょうど、このサイトの趣旨に合致します。

ただしこの立場も当然欠点があります。それが「いじめ問題」です。学校クラス40人の中で一人をいじめることによって、他の39人が幸せになれるのであれば、「最大多数の最大幸福」という経験的判断からすれば、いじめは正当化されるのである。一人を生贄にささげて他の多数の人が助かるのであれば、人は見て見ぬ振りをする。それは正しいといえるのでしょうか。

今回はドールを愛する理由について経験的判断の立場から説明しました。経験的判断からの回答として「ドールを愛することによって幸福になるから」ということです。しかしながら経験的判断は理解しやすいがゆえに、穴もある立場であることが分かりました。ドールを愛する理由は人それぞれですが、あたなの理由は経験的判断からのものだったしょうか。

少し長くなってしまいましたが、本日はここまで。


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Category: ガールフレンド(仮)
Published on: Wed,  11 2015 19:15
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