変わらないものと、変わってしまったもの。

  12, 2017 20:30
10年来の同級生と大阪で同窓会をしてきました。
今回の主題は「その実、変わってしまったのは私自身だった」です。

大学を卒業したのが22歳の頃。偶然によって、たまたま同じ哲学ゼミで出会った男5人は、その姿を変えずに32歳の今、再開することが出来ました。あるものはテレビ局の営業を、あるものは銀行マンを、あるものは起業したこともある人が集まりました。驚いたことに、5人とも結婚をしており、私を含めて3名は2ヶ月違いで子供が生まれる予定だったことです。10年前に交差した人生はバラバラの道を歩んでいったものの、そういった共通項がある点において、5人とも形は違えど平均的な人生を歩んでいる気がしました。

飲み屋で近況報告と昔話に思いを馳せ、何件か飲み屋を回ったあと、大学時代のようにカラオケをして終わりました。3月の春晴れに集まった5名の人生は、とっぷりと闇に飲まれた交差点で再び別れました。その後ろ姿を見ながら、また10年後に同じように出会うことが出来ることを願うばかりです。とはいえ私自身だって決して強い人間ではありません。また10年後に胸を張って近況報告が出来るものなのか、一抹の不安を感じながらも、歩みを止めるわけにはいかず、その日の寝床を探しに踵を返しました。カプセルホテルぐらいあるだろうとタカを括っていたのですが、どこも満席で、結局漫画喫茶で一夜を過ごしました。寝床としては十分とは言えない環境で、漫画を読みながら、ふと隣のブースから泣き声が聞こえました。その声はすぐに収まったのですが、なぜ泣いていたのかは知る由もありません。ただ言えることは、それも私自身であっても何ら不思議は無かったということです。小さな意地だけで32年間を過ごしてきたわけで、いつ挫けてしまってもおかしくありません。そして、これからも挫ける可能性もあるでしょう。それでも明日のために寝る必要はあるのです。

次の日、私は日本橋に来ていました。10年前はオタクだった私は、当時はその地に来ただけでも喜んでいたものです。しかし10年経った私は、何か義務感的な感情を持っていました。あれほど好きだったアニメやゲーム熱も、いまや冷めてしまっています。折角来たのだから、何か購入をしたかったのですが、私の手がレジまで伸びることはありませんでした。ドール服の購入も考えたのですが、費用に見合う品質が無い限りは、私の財布の紐は緩むことはありません。ボークスにも行きましたが、京都ドルパと重なっていることもあり、人は疎らでした。確かにかわいい1/3ドールは欲しいと思うのですが、そこまで費用を掛けることに抵抗があるのです。結局、その実、変わってしまったのは私自身だったのです。オタク熱がすっかり無くなってしまった私には、一体何が残っているのでしょうか。

そんな抜け殻の私が唯一選んで購入したのが「ドール(人形)焼き」というのは、それこそが今の私を象徴しているのかも知れませんね。大阪日本橋に行った時は一口いかが?

えっ、ステマじゃないですからね。


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