一人で社員旅行に行ってきました(前編)。

ちょっとドールから内容は離れてしまいますが、お付き合いして頂けると幸いです。
今回の主題は「人は非日常を求めるもの」です。

11月23日~24日にかけて社員旅行で沖縄に行ってきました。私の勤めている職場は3交代制のため、1組40人程度の団体で何回かに分けて出発します。日程自体は自由に選べるのですが、私は有給を使い、平日日程に参加しました。理由は特にありません。日勤者は通常土日日程を選ぶのですが、上司に「あまり同じ日に人が集まるのは良くないのではないか」と言われたためでした。しかし蓋を開けてみると、私の知り合いは一人もいませんでした。基本的にはあまり関わりのない夜勤の方のグループで、日勤者はほんの数名しかいませんでした。当然所属している部も異なるので、名前は聞いたことがあっても、顔は全く知らない人ばかりです。

となると、最大の問題が「無事に団体に合流することが出来るのか」ということでした。集合場所である中部国際空港まで当然一人で行くわけです。念には念を入れて空港までは集合時間一時間前には到着していました。普段はあまり利用しないカフェでモーニングを楽しみ、余裕のあるタイミングで集合場所に向かったのですが、なぜだか誰もいません。久しぶりに「迷子」という不安な気分を味わいました。迷子なんて大人になってからは基本ありません。なぜなら自分自身が行動の主体なのだから、自分が行きたい方向へ行けば、それが正しいのですから。ただ集団行動は違います。小学生の旅行で列をはみ出た子供のように、待ち合わせ場所を行ったり来たり。集合場所自体は何度見ても間違いありません。それでも、どういうわけか見つけることが出来ません。

ようやく参加すべき集団を見つけたのは集合時間を数分遅れた後でした。うろうろしている私を呼び止めてくれたのは、たまにシフト時間が合う時会話したことがある人でした。仕事中は作業着のためお互い認識することが出来なかったのです。結果として、地図に書かれている集合場所とは少し離れたところに集まっていたわけですが、声を掛けて貰えなければ、私は団体に合流することは出来なかったことでしょう。

「知っている人が誰もいないのに、よく旅行に参加しようと思ったな」

同じ職場の人に言われたことを反芻しながら、搭乗口の検査の順番を待っていました。よくよく考えると誰も知り合いのいない団体旅行に参加することは初めてです。一人旅行なら元々一人なので寂しさは感じません。しかし知り合い同士が会話をする中、たった一人荷物を握りしめて待つ行為に、私は一抹の心細さを感じました。独身生活をして一人でいることに慣れ、結婚して二人でいることに慣れたわけで、まさか31歳にもなって寂しさを感じるとは思いませんでした。寂しさという感情は一人でいることで感じるわけではありません。集団に属しているにも関わらず、一人ぼっちでいることに対して起きるわけです。子供の頃、必死に友達の輪に加わろうと努力していた気持ちが不意に蘇りました。決して友達が多かった方ではなかった私はいつも不安に襲われていた気がします。

そんな感情を気づかせてくれた「一人での社員旅行」に対して、結局私は参加したわけですが、その理由は「非日常を求めたため」でした。こういった感情を気づいたのも旅行に参加したからです。格安で飛行機に乗って沖縄まで行くことが出来る経験は、そうあるものではありません。だからこそ「たとえ一人でも参加しよう」と思ったわけです。まあ流石にこの年になれば「寂しいから嫌だ」とは思いませんから。

というわけで、今回はここまで。


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Category: 中二病でも恋がしたい!
Published on: Thu,  24 2016 23:17
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