一年間ドールを撮影して気が付いたこと

一眼レフを入手してからというもの、人生で一番写真を撮影しています。
今回の主題は「折角ドール趣味を持つなら、撮影にも拘りを」です。

ドール趣味を持つ人の次に向かう先は「撮影」です。これは半ば必然と言って良いルートで、ブログを行っている方にとっては、そのメディアの性質上、避けては通れません。なぜドール趣味はカメラ趣味へと向かうのか。それはオタク心「収集からの布教」という性質に起因しています。オタクとは一種の宗教であると言っても過言ではありません。自分が信じたものが偶然「二次元の美少女」だっただけであり、それが偶然「キリスト教」であったり、「仏教」であっても不思議ではないのです。自分の先天的な琴線に触れたもの、つまり自分が良いと信じたもの、その道を歩むことこそ、人の個性であり、オタクという生き方なのです。

しかしながら人は自分の信じた道を歩むだけでは満足しません。そこには「自分を認めてほしい」という心と、「自分の信じたものを広めよう」という心の、二つが存在します。前者は「自分のため」、後者は「他人のため」という違いはあります。利己的であり、利他的でもある。そんな交錯した感情が最高潮になった典型例が「経典か、剣か」という二択へと駆り立ててしまいます。だからこそ「オタクは人付き合いが難しい」というイメージがあるわけです。

だからといって「自分の趣味を人にお勧めしたい」という欲求自体を否定することは出来ません。その欲求は意識的にも無意識的にも、私の中にあります。だからこそ自己表現の塊であるブログを行っているわけです。

自己表現を行うブログ上で、自分表現する方法として「文章」と「写真」が挙げられます。最近はユーチューバーに代表される「動画」という方法もありますが、ブログを行っている人ならば、その殆どが「文章」と「写真」なのではないでしょうか。文章は書くことによって上達します。写真は撮影することによって上達します。では写真で上達したことは何か。

それは「色々なライトや角度で撮影する」ということです。カメラは真実を映すものではありません。カメラは自分の見せたいものを映すものです。真実だけを映すのならば、写真に多様性はありません。ドールの一番可愛く見える撮影角度やライティングを工夫すること。それは虚構を映しているということです。虚構を映すために私たちはカメラを向けているのです。

一年間ドールを撮影して気が付いたこと、それは「カメラとは虚構を再現すること」ということでです。いかに偽ってドールを可愛く撮影するのか、それこそが本質です。その虚構を再現するためにカメラにお金を掛けたり、パソコンでデジタル処理をするわけです。単純に正面だけの写真ではなく、カメラを傾けたりしてみるとダイナミックな構図を取ることが出来ます。それは単純な人間の目線ではないので、それが面白さに繋がるわけです。

通常ではあまり見ることのない角度からの写真を撮ることが出来るこそ、それが物撮りの面白さなのかも知れません。

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Category: プラモデル
Published on: Mon,  19 2016 18:41
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